| 十五 |
元禄花見踊り(台東区華道茶道文化協会) |
| |
時は元禄。上野の山に鮮やかな、小袖模様の妖艶。満開桜のその下に、絢爛豪華な花が咲く-江戸中期。天下太平のよき時代都市を舞台に独自の町人文化が花開きます。浮世絵、歌舞伎に贅を凝らした元禄模様・・・・「粋」という言葉に示される洗練された趣向は、現代になってもその光を失いません。 |
| 十六 |
義士の討ち入り(NPO 隅田川・江戸文化観光振興会) |
| |
元禄15年(1702年)12月14日。太平の世を打ち破るが如く、陣太鼓が鳴り響きます。忠ならずば臣にあらず-大石内蔵助を筆頭とする赤穂浪士四十七士の吉良邸討ち入りです。四十七士は切腹を免れることはできませんでしたが、江戸市民の赤穂浪士に対する評価は高く、現代に至るまで彼らは「義士」と称され語り継がれています。 |
| 十七 |
大岡越前守と江戸町火消(江戸消防記念会、NTT東日本-東京東) |
| |
享保2年(1717年)。八代将軍吉宗は、大岡越前守忠相を江戸南町奉行に任命します。有名な大岡裁きの他にも、目安箱の設置。新田の開発などに尽力し、特に家屋の構造を心得た鳶職・大工を中心に江戸町火消いろは48組を組織した功績は大きく、後世の評判に違わぬ名奉行でした。 |
| 十八 |
浅草市村座七福神舞(浅草寺舞保存会) |
| |
恵比寿に大黒、弁財天・・・・七福神は福徳の神として知られています。江戸末期、歌舞伎・市村座の座主は浅草観音への信仰厚く、一座の興業の前狂言として「七福神踊り」を上演して観音様の功徳をたたえました。昭和39年、宝蔵門落慶の記念行事としてこの踊りは復興し、見る人を和ませています。 |
| 十九 |
猿若三座 江戸歌舞伎(浅草小学校児童) |
| |
出雲大社の巫女・阿国(おくに)を祖とする歌舞伎は、寛永元年(1624年)、猿若勘三郎が江戸に一座を開いたのを皮切りに、隆盛期を迎えます。その後、一時は人気役者と奥女中との不義密通事件から全座休座を命じられますが、やがて中村座、市村座、守田座のみが興業を許され「江戸三座」として日本の伝統芸能を育て上げていきました。 |
| 二十 |
江戸の人気者(子孫大久保榮司、六真企画) |
| |
火事と喧嘩は江戸の華。気っ風の良さは誰にも負けぬ。天下御免の一大事。一心鏡の如く駆け抜けりゃあ、義理が憂き世のしらがみでえ。男侠気に人情話。ちょいと知られた伊達男。江戸は今宵も大騒ぎ。ええい!控えい!この紋所が目に入らぬかあ!大久保彦左衛門役は直系の大久保榮司さんが務めます。 |
| 二十一 |
江戸芸者(東京浅草組合) |
| |
芸者の起源は元禄時代、遊廓で遊女の伎芸不足を補うために生まれた、太鼓専門の女性がその始まりだったと伝えられています。吉原の場合は特にその傾向が強く、明らかに遊女とは一線を引いた、三味線音楽と踊りの専門家でした。町芸者では浅草、広小路芸者、深川の辰巳芸者が有名で、下町の夜に小気味よい爪弾きの音を響かせていました。 |
| 二十二 |
副旗 |
| 二十三 |
黒船来航・浦賀奉行(千束小学校児童、米海軍横須賀基地有志、自衛隊東京地方協力本部城東地区隊台東出張所、桑沢デザインスクール) |
| |
嘉永6年6月、米大使ペリー率いる黒船の浦賀来航によって、泰平の夢は破られた。2年後の日米通商条約を結ぶべく下田に着任した初代駐日領事ハリスとの間に、「唐人お吉」が謎を秘めた悲劇の主人公として登場する。 |
| 二十四 |
特別参加 日野市新撰組(日野市観光協会) |
| |
幕末期、騒然となった京都の治安を維新志士達から守るために結成された、朱に「誠」の文字の旗、浅黄色にだんだら模様の羽織姿で京の街中を震え上がらせた新撰組。近藤勇、土方歳三、芹沢鴨、沖田総司など今に名を残す強者は結集した。まさに幕末時代を駆け抜けた最後の剣客集団。しかし、新撰組の結成から土方歳三の死まで、わずか6年の運命だった。 |